篠田節子さんの『仮想儀礼』という小説のなかで、作者は、新興宗教の教祖・桐生という存在を借りて、読者にこんなことを語りかけます。
ある年配の女性は、庭を潰して駐車場を作ってから、体調が優れず医者に行っても治らないと、相談に来た。霊能者に見てもらうと、借財の怨念がついている、と言われお祓いの対価として多額のお布施を要求された。しかしそんなことをしても、体はいっこうに良くならないと訴えた。自分が見捨てられていることにすら気づいていない人たち - 琥珀色の戯言 (via eternityscape)
相談に乗った正彦は、女性の体調について詳しく尋ねた。どこが痛い、苦しいという訴えを気が済むまで聞いてやった後、循環器系の専門病院に行くように指示し、なるべく毎日、ここに来て礼拝するようにと付け加えた。
またこの近くに住んでいる中年の主婦は、自分は生まれてこの方、ずっと人に騙され続けている、世の中のすべてが自分を裏切っている、と訴えた。聞けば最近もパートタイマーとして働いていた小さな店で給料の不払いに遭い、高齢の母は病気が治らないのに強制的に退院させられて行き場がない。長兄は金持ちで大きな家に住んでいるのに、妻が恐くて母のことは見て見ぬふりをする。
正彦が答えたのは、給料請求の具体的な手続きであり、母親の介護に関しては、相談に乗ってくれる自治体の窓口を具体的に教え、要領よく事態を伝えられない女に代わり、電話をかけてやった。
教祖の仕事とはとうてい思えない。しかし普通の家庭生活を送っている多くの女性が、心の問題や神様について云々する以前に、社会のシステムや制度についての正確な知識を持っておらず、そのために問題が解決できず、相談相手もいない状況に置かれていることに正彦は驚かされていた。(via umi82mizuiro)